2006年度 秋の定例研究集会における研究発表(総括)

「和船競漕の社会史的考察‐玉江浦の『おしくらごう』‐」(高津 勝・一橋大学)

 高津氏の発表は、山口県玉江浦で行われる和船競漕「おしくらごう」の歴史的、社会的意味を考察したものであった。氏はそれをこの地域の祭礼、産業形態、社会組織などとの関係性の中で読み解こうとした。研究の問題意識は次のようなものであった。

1)柳田國男は「我国在来の運動競技は、殆ど其全部が此種祭の日の催しに始まって居る」(日本の祭)と言っている。日本の競技文化史を総体的に明らかにするには、民俗競技の考察が不可欠である。2)民俗的な身体競技は、その担い手である民衆の主体的な営みを基軸に分析・記述されるべきだ。その際、社会の支配構造や権力関係を視野に入れる必要がある。3)民俗的競技を歴史的に再構成する際には、個別・具体的な検証を介してリアルな認識を得ることが必要である。

 氏は分析の結果、競技形態の違い等から「おしくらごう」を次のように時期区分した。1)天明末~完成期:河口での船競漕 2)嘉永期:河から海へ向かっての競漕 3)明治中・後期:沖合から港口へ向かっての競漕 4)大正中期:港口→沖合→港口という往復の競漕 5)大正末~昭和初期:競漕の制度化・伝統化

 氏はさらに、玉江浦の漁業組織、出漁船数、出漁海域、漁獲高等々の分析から、上記の時期区分は沿岸漁業、遠海漁業、遠洋漁業などの漁業形態の変化にほぼ一致すること、また「おしくらごう」は萩中学のボート部に影響を及ぼし、そのボート部から逆に影響されて競漕形態を変化させたこと、などを明らかにした。その手法は見事と言うほかはなく、「おしくらごう」はまさに高津氏のこの研究によって「玉江浦の」民俗競技になった、と言って過言ではない。

 ただ、高津氏は発表の中で、競漕に伴う酩酊、狂気などが既存の支配秩序を攪乱させ、日常的な世界を一新する機能を持っていたことを強調されたが、その一方で、青年宿を単位とする競漕の選手選出は、後継者としての模範青年を育成し、選出する機能も果たしていた。矛盾するように聞こえるこれら二つのことがらは、「おしくらごう」をとおしてどのように結びついているのだろうか、この種の知識に乏しい小生にとっては十分には理解できないところであった。いつか改めてお教えいただきたいと思った次第である。

 なお、今回の氏の発表は配布資料にも記されていたように、「和船競漕の社会史‐玉江浦の『おしくらごう』‐」(一橋大学研究年報 社会学研究 44 , 99 ‐ 230 , 2006.3 )を基にして行われた。ひとつの民俗競技についてその変容を詳細に明らかにし、それを地域の主要産業や社会的組織の変化に関連付けて考察した研究は、管見の限りこれまでなかったように思う。その意味で、この文献は今後この種の研究をする者にとって必読の文献となるに違いない。

(大熊廣明・筑波大学)