9月23日(木)午後2時から長野市内のJA長野県ビルにおいて2004年度秋の定例研究集会が開催されました。Andreas Niehaus氏(ケルン大学)の講演と佐々木浩雄会員(金沢大学)による研究報告が行われ、参加者の間で活発な討論が行われました。当日の出席者から、楠戸一彦会員(広島大学)と池田恵子会員(山口大学)に発表の総括をしていただきましたので、下記をご覧下さい。

 今回は研究集会に37名(うち院生5名)、終了後同ビル内「しなの木」で行われた懇親会に32名の参加があり、遠方からも多数の会員が参加されました。現地世話人を務めていただいた大久保英哲会員(金沢大学)、お手伝いいただいた金沢大学大学院生ならびに筑波大学大学院生の皆様に厚くお礼を申し上げます。

 

演者 : Andreas Niehaus氏(ケルン大学)

テーマ: Body in Biography - Reading the Life of Kano Jigoro

 2004年秋の定例研究集会では、ケルン大学のA.ニーハウス氏(2004年10月よりベルギーのゲント大学)による特別講演が行われた。講演はドイツ語ではなく英語で行われた(氏は日本語も堪能である)が、阿部生雄会長による発表原稿の日本語訳が配布され、講演内容の理解に大いに役立った。

 さて、ニーハウス氏の講演は、雑誌『作興』に連載された「柔道家としての嘉納治五郎」と「教育家としての嘉納治五郎」の2つの論稿を資料としながら、次のような論点から、嘉納の生涯における「身体の役割(the role of the body)」を解明することに焦点が当てられていた。(1)ロシアの海軍将校との力試しやエジプトでのピラミッド登頂のエピソードに見られる「身体の役割」、(2)合気道創始者の植芝盛平との「身体性」の相違、(3)嘉納による言葉あるいはテキストによる身体の「説明」、(4)「精力善用自他共栄」に見られる嘉納の教え、など。これらの検討を通じてニーハウス氏は、次のような結論を導く。嘉納は身体に対する伝統的な排他性や秘密主義を打ち破り、「身体を脱-神秘化し、理性化した」。即ち、彼は嘉納の考え方に「計測可能で合理的なものだけを受け入れる近代性」を認めた。

 嘉納の言説から読み取れる「身体の役割」の解釈を通じて、「教育家としての嘉納」の思想を解明し、また日本における伝統的な身体を「近代的な」身体を対比させたニーハウス氏の講演は、柔道創始者としての嘉納に関する研究に親しんでいた筆者にとっては極めて新鮮であり、嘉納治五郎研究の新しい地平に接することができたことは幸いであった。側聞するところによれば、『体育史研究』に今回の講演の日本語訳と、またニーハウス氏の学位論文『嘉納治五郎(1860-1938)の生涯と業績』(2003)の書評が掲載される予定とのことである。ニーハウス氏の嘉納治五郎研究の詳細については、これらを参照して頂きたい。最後に、体育史専門分科会の定例研究集会において外国人研究者による講演が極めて希であったことを考えると、今回の講演会を企画した世話人の方々に敬意を表したい。

楠戸一彦(広島大学)

 

報告者: 佐々木浩雄会員(金沢大学)

テーマ: 松元稲穂の「国民体操」について-修養団天幕講習会、協調会労務者講習会、青年団講習所における実践を中心に-

 佐々木会員による上記のテーマについて私が総括することは適任でないように思う。ましてやご発表のあらましを繰り返すことも僭越であろう。しかしながら、外国スポーツ史に通じてきた視点から感想を述べるなら、やはり当日お見えでなかった会員のために若干の説明を施し、私なりに興味深く感じた点をお浚いしておきたいと思う。報告者が関心事としたのは、日本における社会体育の源流を探るべく、松元稲穂の理論と実践についてであった。松元は、修養団に足場を置き、大正期半ばから一貫して農民や工場労働者に体操普及を行った人物として知られている。自ら考案の「国民体操」は、軍隊、学校の枠を超えた空間、すなわち、修養団天幕講習会、協調会労務者講習会、青年団講習所といった場を通じ、勤労青年層への普及の途を示す道しるべとなった。先行研究とのかかわりで言えば、大谷武一、北豊吉とともに国民保健体操(ラジオ体操)の原型、「国民体操を創始」したとされていることを除き、彼自身について体系的研究がなされていないことも本研究のニーズとして掲げられている。そこで、家庭体操(婦人の健康)から国民体操へと誘い、体操の生活化、内臓諸器あっての健康、先に隆々たる筋肉、骨格があるのではないとする斬新な主張が見直されることになる。工場での朝礼、休み時間に行う疲労恢復のための体操といったその実践は、国民保健体操と共通動作の多いものであった。さらに普及の様相は、理論よりも実践者の体験談を軸にするものであったとされている。議論の中心は、内務省書記官をも務め、農村の青年教育に携わり、小尾晴敏とともに天幕講習会を確立、「中堅青年の養成」を主張した講習会講師、財団法人協調会理事を務めた田沢義鋪らへの言及他となるが、本研究から読み取れる面白さは、既成概念への果敢なる挑戦とも感じられる側面があった。すなわち、体操の普及母体であった修養団の性格について、全体主義的教化活動の一翼とするような消極的な歴史評価と、「大正期のある時期までの民意を反映した一定の自律的組織」であったとする積極的評価との関わりにおいて、身体活動の面から新たな視野を補足しようという試みにもつながっている。こうした官製的あるいは全体主義的意味との関連と、戦前の社会体育や民衆体育の源流としての積極的評価の問題以外にも、松元を扱うことで、この他に興味深い対峙が潜んでいると感じられた。例えば、赤色スポーツ運動でもブルジョワスポーツ振興の脈絡でもない所の日本的特徴を探るという作業である。しかしながら、これらに論を向けていく場合、ファシズム下のドイツ、イタリアとの類似性にも触れて、視野を拡げなければならないという課題も伴うことであろう。それにしても、松元がソコルにも、ヤーンのドイツ体操にも言及しているあたり、極めて興味深く思われる。また、このような可能性を感じる一方で、報告者の生真面目さの裏返しではあろうが、詳細な事実報告の裏に隠れて、以上の点について、議論が波及しなかったことが残念であった。しかし、テーマを選んだ時点で、潜在的に上述の問題意識が想定されているように思われる。右にも左にも揺れ動き、かつ、「民衆」というキー・ワードから身体が持つ恒久的側面の正と負の両面を扱っていくことに、広い意味での外国民衆スポーツ史との共通性を感じた。今後の展開に大いに期待したい。

 

池田恵子(山口大学)