体育史専門分科会・会報  No. 170 / 2003. 12. 17

Ⅰ. 世話人会報告
 11月8日(於:一橋大学)の世話人会で話し合われた内容を中心にご報告いたします。

1.春の研究集会について
 2004年度の春の定例研究集会の日時は5月8,9日が第一候補となりました。また、開催地は山口県を第一候補とし、候補地関係者と協議することになりました。一般研究発表については例年通り、三月末締め切り、発表時間30分質疑15分となります。なお、春の定例研究集会の詳細については次回会報にてお知らせいたします。

2.日本体育学会第55回大会合同シンポジウム、専門分科会シンポジウム、キーノートレクチャーについて
 平成16年度日本体育学会(9月24~26日、長野)における専門分科会合同シンポジウム及び体育史専門分科会単独のシンポジウムの内容については、出席者がそれぞれテーマを出し合いましたが、今回は保留とし、次回世話人会で具体案を検討することとなりました。また、キーノートレクチャーについては人選を終え、依頼中です。

3.体育史専門分科会ホームページについて
 体育史専門分科会ホームページについて検討した結果、『体育史研究』の目次検索などの内容を作成する方向で進めることになりました。今後は内容やサーバーに関する技術的な面の調査を行います。また、『体育史研究』の内容を電子化して公開する場合には著作権の問題をクリアしなければならないため、次回総会の審議事項とすることになりました。

4.『体育史研究』表紙
 『体育史研究』のデザイン変更案のうち、最終候補2点を選定しました。今後は色使い等の微調整を行った後、最終決定となります。

5.体育史専門分科会の英語名
 『体育史研究』の表紙選定の中で、体育史専門分科会の英語名についての検討が行われました。『体育学研究』が「Japan Journal of Physical Education」を「Japan Journal of Physical Education, Health and Sports Sciences」と変更したことを受け、『体育史研究』も「Japanese Journal of the History of Physical Education」を「Japanese(もしくはJapan) Journal of the History of Physical Education, Health and Sports Sciences」に変更するのかどうかということです。これについては重要事項でありますので、次回総会の審議事項となりました。

Ⅱ.編集委員会報告
 『体育史研究』第21号(2004年3月末刊行予定)の投稿は9月末で締切となりました。今回は6本の原著論文と1本の研究資料を受け付け、現在審査中です。そのうち1本は、すでに掲載が確定しております。また、現在までに編集委員会を3回開催いたしました。第21号の内容としては投稿論文の掲載、日本体育学会第54回大会のシンポジウム報告に加え、書評の充実を期し4本の掲載を予定するとともに、『体育史研究』の表紙をよりアカデミックで芸術性に富んだものに刷新すべく、目下、事務局および世話人会と合同で検討を急いでおります。
 なお、『体育史研究』への投稿は随時受け付けております。詳細については『体育史研究』第20号掲載の投稿規定をご覧下さい。

Ⅲ.2003年度 秋の定例研究集会における研究発表(総括)
 9月25日(木)午後2時から熊本市内のKKRホテル熊本内「天草」において2003年度秋の定例研究集会が開催されました。木下秀明会員(前日本大学)と山本英作会員(筑波大学)による研究報告が行われ、参加者の間で活発な討論が行われました。当日の座長を務められました、中村民雄会員(福島大学)と楠戸一彦会員(広島大学)に発表の総括をしていただきましたので下記をご覧下さい。
 今回は研究集会に43名(うち院生11名)、終了後同ホテル内「相生」で行われた懇親会に35名の参加があり、遠方からも多数の会員が参加されました。現地世話人を務めていただいた榊原浩晃会員(福岡教育大学)、お手伝いいただいた福岡教育大学大学院生の皆様に深くお礼を申し上げます。

報告者:木下秀明会員(前日本大学)
テーマ:永井道明にみる「撃剣」から「剣道」への史的考察

 本研究は、筆者の「問題の提起」にも明らかなように、「剣道」という名称を提唱したのは、明治44年11~12月にかけて文部省主催による「撃剣及び柔術」講習会で体育理論を講義した東京高等師範学校教授の永井道明であるという仮説から出発している。

 その上で、永井が明治42年2月に欧米留学から帰国してから、大正4年東京高等師範学校に体育科が設置され、「剣道を主」とするクラスが誕生するまでの数年間、永井が行った体育理論に関する講演等を詳細に検討したものである。特に、「撃剣」から「剣道」への名称変更に永井がどのように関わったのか、時期を特定するために、講演が行われた日時の検証に多くの時間が費やされている。こうした作業を通して「撃剣」から「剣道」へ、「柔術」から「柔道」へ、「武術」から「武道」へと、用語の使われ方がどのように変化していくのかを一覧表にし、「剣道」の名称とともに、剣道・柔道の総称としての「武道」という用語の使われ方も検討している。
 木下氏は、明治44年11月の文部省主催の講習会に先立って行われた、同年7月の岡山県教育会における「体操科講習筆記」(私立岡山県教育会、明治44年9月)において、永井ははじめて「剣道」「柔道」を用いた。そして、この講演が転機となって、同年11月に開催された文部省主催の講習会では、①目的の体育を見失って技術偏重になった普通体操を反省して、命名が重要であること。②技術偏重の「撃剣」を嫌忌して、精神を重視すべきことを指摘した。③「柔道」と同じように、技術を印象づける「撃剣」を精神に関する名称である「剣道」と改称すべきことを主張した。
 このような経緯をたどりながら、永井の中では「術」から「道」への明確な転換が行われたことが明らかにされた。しかし、今回の発表で一つ気になったのは、題目では「永井道明にみる」と限定されているにもかかわらず、「撃剣」から「剣道」への名称変更という一般論に重心がかかってしまい、時としてどちらなのかわからなくなることがあることである。明治末期から大正期にかけて活躍した永井道明という人物に限定して、彼の体育理論における思想性の深まりの一事例として、「剣道」という名称変更を例にして検討されたならば、もっとすっきりとした形でまとまったであろうと感じられた。また、体操科の一教材としての名称問題に限定すれば、文部省側の考え方との比較が欠かせない視点ではなかろうか。新しい学校体操を主導する立場にあり、各地で講演活動もし、しかも「撃剣」「柔術」より「剣道」「柔道」の方がいいという発言を繰り返しながらも、なぜ、大正2年の学校体操教授要目において、「道」への改称が行われなかったのか。この点を明らかにして欲しかった。文部官僚の側に、一旦用いた教育用語はむやみに変更しないという暗黙の了解があったとしても、なぜ変更しなかったのかという理由を追求して欲しかった。(3ページへ続く)

 他方、「撃剣」から「剣道」への名称変更という一般論を展開するならば、東京高等師範学校内における教科名や校友会運動部の名称変更の動きを押える必要があるし、学校を取り巻く社会、具体的には大日本武徳会の動向や、大学・高専を中心とした剣道部活動の動向を押える必要もあろう。また、警視庁をはじめとする内務省の動きも考慮する必要があるように感じられた。こうした点からの質問が多く寄せられたことからも、視点がぼやけてしまったことが惜しまれるような気がする。

中村民雄(福島大学)

 

 

報告者: 山本英作会員(筑波大学)
テーマ: ブラジル・サッカー史像の構築・再構築-ブラジル体育・スポーツ史学会(1993-2002年)における研究動向を手掛かりに-

 

 従来の体育史専門分科会における研究発表が日本と欧米の体育史あるいはスポーツ史を中心としていた中で、山本会員によるブラジルのサッカー史に関する発表は非常に新鮮かつ興味をそそるものであった。山本氏は、先ず、ブラジル・サッカー史を語る場合の時代区分に関して、「ブラジル体育・スポーツ史学会」創設(1993年)から2002年までのサッカー史に関する研究発表の動向を参考にしながら、次のような彼独自の時代区分を提示する。(1)「人種デモクラシー」に基づくサッカー史像(1940年代―1970年代)、(2)「伝統」と「近代」、「民衆文化」をめぐるサッカー史像(1970年代-1990年)、(3)「グローバリゼーション」と再構築されるサッカー史像(1990年代-現在)。この時代区分に基づいて、彼は「長らく公認されていく伝統的な」ブラジル・サッカー史像、つまりR. Pilhoの小説『ブラジル・サッカーにおける黒人』(1947年、1964年)におけるサッカー史像がいかに構築され、そして「それが批判され多様に構築されていく歴史的経緯」について、社会背景をも考慮に入れながら、当日配布された資料に沿って発表を行った。配付資料の分量からすると、60分という発表時間は短すぎると思わせるほど、盛りだくさんな発表内容であった。
 質疑応答ではさまざまな質問がなされたが、ここでは次の2点に言及するに止めよう。その一つは、Pilhoによる小説に対する歴史的事実を確認するための資料についての質問であった。これに対しては、当日配布された添付資料に基づく詳細な回答がなされた。もう一つは、今回の発表を「学位論文」としてまとめる際の中核的問題と論文構想に関する質問であった。この点に関しては、時間の関係もあり、発表者と質問者との間の溝は埋まらなかったようである。
 最後に、司会者としての感想を述べて、山本会員の「発表総括」に代えよう。ワールドカップで5度の優勝を遂げたブラジル・サッカーの歴史を解明しようという彼の研究は、資料収集の困難さを考えれば、大いに賞賛されてしかるべきであろう。ただ、発表内容に関しては、以下のような疑問を感じた。(1)論点が多岐におよび、どこに焦点があるのか理解しづらかった。例えば、ブラジル体育・スポーツ史学会におけるサッカー史に関する研究動向を先行研究として分析するとか、Pilhoの小説の初版と第二版を比較検討することに焦点を当てても良かったのではないか。特に前者に関しては、副題と発表内容の関係が理解しづらかったこととも関係している。(2)「サッカー史像」という概念の下で何を問題にするのか、曖昧であった。なるほど、彼はこの概念についての説明を行ったが、必ずしも十分に説得的ではなかった。このことは、サッカーの何についての像なのか、という点に関する分析の枠組みが不充分なことに起因すると思われる。
 ともあれ、山本会員は今回の発表内容に基づいて学位論文を作成する意向のようであるから、その成果に大いに期待したい。

楠戸一彦(広島大学)

Ⅳ.日本体育学会第54回大会体育史専門分科会シンポジウムについて

 9月28日(日)10時30分より熊本大学・大学教育研究センターC202教室において、「日本近代における『技法』の史的展開~スポーツにおけるグローバリゼーションとローカリティ~」と題し、体育史専門分科会シンポジウムが開催されました。高津勝会員(一橋大学)の司会で、中村哲夫会員(三重大学)、中森一郎会員(大谷大学短期大学部)、大熊廣明会員(筑波大学)の3名が演者を務めました。このシンポジウムの感想を清水重勇会員(前神戸大学)と綿引勝美会員(鳴門教育大学)にお寄せいただきました。

シンポジウム感想

清水重勇(前神戸大学)

 

 問題提起は、水泳競技の国際化の中で特化され4泳法に統一化される現実を、技法のグローバリゼーションと捉えるとともに、そこへ連接する(あるいはしない)泳ぎの技法化の歴史(技法史)の文脈を重ね合わせて見るという構想のようである。

 グローバリゼーションの過程は、おそらく現代の科学技術上の改善や競技ルールの厳密化過程とは重なるけれども、このシンポジウムで扱われた歴史的事実は、この現代的状況とシームレスに連続するものではない。グローバリゼーションという場合、スポーツ史のどの時期にスタートする現象として了解するのか、戦後間もない古橋や橋爪の頃ではなさそうに思える。クロールといえども、まだ個性的な技法の特色が勝利と結びつけて理解されていたのではなかったか。競技界の中にもスピード・効率化追求による泳法の固定化への批判的見解などもあったという中村氏の報告は興味深かった。この意味で、報告者3人は日本人の《泳ぐ身体》の特質を、ローカルな権威に裏付けられた、水との多面的な対応の技法として描いている。とりわけ観海流の技法は、「長距離団体泳法」を中核とし、外国泳法から独立した伝承過程をたどっている。水府流にしても、1927年頃の資料では外国泳法を取り込む試みを行っているにしても、その後も自流の泳法の追加事項として位置づけ、1937年頃でも「他流と競わず」の原則を遵守していたという。このような技法世界の傍らに、早くも1920年代からオリンピック種目との関係から、外国泳法による技法改変への動きもみられるけれども、「国民皆泳」運動の中では、日本人の《泳ぐ身体》は西欧化の方向よりむしろ、実用性などを強調する独自性の方向へ導かれていったという事実は注目に値する。
 野村雅一が指摘したように、日本人は日常生活において、裸という事態をさほど恥と結びつけていなかったし、水はその裸の身近にあって、泳ぎの技法を生成する環境となっていたであろう。西欧人はこれとは逆に、裸体を極端に隠蔽する服装文化をつくりあげる一方、裸体を誇示するという弁証法を形成し、皮膚に迫る水は、脅威に近い感受性を持っていたようである。アモロスやクーベルタンの水泳論などには、泳ぎを一種の水との闘争術として位置づけているくだりがある。西洋人の泳ぐ身体は、水を克服する身体をプロトタイプとするのではないか。
 先のシンポジウム「江戸の身体、明治の身体」は、日本人の身体の連続・不連続の問題に論議が及んだが、その後、これについて注目すべき報告はない。今回のシンポジウムは明らかに「身体の歴史」シリーズの中に位置づけなおしてみることも有益ではないかと考えた。

 

 

 

シンポジウムに参加して

綿引勝美(鳴門教育大学)

 

 運動教育の理論に興味をもって、その手がかりとなるようなものを探し求めている。シンポジウムはたいへんに興味深いものが続いている。今回も、わたしたちの運動教育の内容や目標を問い直すという意味で、たいへんに示唆的であった。
  非常にローカルな話になるが、わたしは小さいころ父親から那珂川の中流域で泳ぎを教わった。水府流の流れをくんでいるのかどうか定かではないが、水面から頭をあげた、ノシとか抜き手、背面での平泳ぎなどである。川の浅いところで、横向きに寝そべって、まず足と手の動きを教わった。頭は、泳いでいく先(頭の方)と足先に目が届くように動かすのだ、というようなことを言われたような記憶がある。プールなどまだ整備される直前のころにそだったので、川といえば、保護者たちが出役で、河原に関をこしらえてプール替わりの泳場をつくってくれていたことを思いだす。呼吸法はまったくおそわらなかったので、流れのないプールでのクロールや平泳ぎには大学卒業のぎりぎりまで苦労した憶えがある。
  高校には、水戸学の流れをくむ日本史の先生がいらっしゃり、兄はその先生の主催する塾寮にはいっていた。一度、「少年日本史」という「皇国史観にもとづいた教科書」の勉強会につれていってもらった。皇学館の先生が伊勢神宮の話をされていたことが記憶に残っている。
  水府流、観海流、いずれもある意味では、過去の記録として「客観的な事実」として確定できそうなところでもあるが、わたしにとっては、なまなましい運動の記憶にふれるものというように受け取られた。水戸と伊勢、尊皇や攘夷の身体性は、表面にでることもなく沈潜して、細々ではあるが地下水の一筋として流れをたやしていないのだな、という感想である。こうした流れにふれるような運動教育の可能性、あらためて考えてみなくてはならない。

Ⅴ.事務局より

1.会員動向
 2003年8月以降については、入会、退会、所属等の変更はありません。

2.2003年度専門分科会費納入のお願い
 会費を分科会の郵便振替口座に振り込まれている会員で、2003年度会費(4,000円)を未だ納められていない方は、会費の納入をよろしくお願いいたします。

郵便振替口座
加入者名: 日本体育学会体育史専門分科会
口座番号: 01050-0-74654

Ⅵ. その他

体育・スポーツ史関連学会のお知らせ

  • 日本スポーツ産業学会 スポーツ産業史専門分科会 2003年度第2回研究会
    期日:2004年3月26日(金)~28日(日)
    会場:札幌市教育会館
    問合せ先:スポーツ産業史専門分科会事務局
    下関市立大学経済学部 中嶋健
    Tel 0832-54-8646 Fax 0832-52-8099 E-mail: nakajima@shimonoseki-cu.ac.jp
  • 日本スポーツ人類学会第5回大会
    日程概要:2004年3月29日(月) 午後 シンポジウム、総会、懇親会
         :2004年3月30日(火) 午前 一般研究発表 午後 一般研究発表
    会場:北海道大学百年記念館
    問合せ先:早稲田大学人間科学部スポーツ人類学研究室内 日本スポーツ人類学会第5回大会事務局
    Tel/ Fax: 042-947-6776 E-mail: supojin@hotmail.com