Ⅰ. 2008 年度春の定例研究集会の開催について

2008 年度春の定例研究集会は、下記のとおり 5 月 17 日(土)および 18 日(日)の両日、びわこ成蹊スポーツ大学(JR湖西線比良駅下車徒歩 15 分)において開催することになりました。発表を希望される会員は、 3 月 21 日(金)までに発表要旨(抄録)を MS-WORD 書式で作成し,その添付ファイルを体育史専門分科会事務局の榊原浩晃会員のメールアドレス ( hiroakis@fukuoka-edu.ac.jp) にお送りください。 

  なお、 発表要旨(抄録)は A4 サイズ、 40 字× 40 行× 2 頁以内で作成してください。 (プログラムや会場までのアクセスなどの詳細については、次号の会報でお知らせいたします。)

  春の定例研究集会は新井 博会員(びわこ成蹊スポーツ大学)のお世話により,下記の要領で開催されます。

期日:平成 20 年 5 月 17 日(土)及び 18 日(日)
場所:びわこ成蹊スポーツ大学
〒 520 - 0503  滋賀県大津市北比良 1204 番地
JR京都駅よりJR比良駅まで湖西線で約 40 分,比良駅下車徒歩約 15 分

研究発表・懇親会( 17 日)・研究発表・総会( 18 日)の予定
17 日(土) 13:00 ~ 17:30  研究発表,研究発表終了後 懇親会を開催します。
18 日(日) 9:00 ~ 11:30  研究発表, 11:30 ~ 12:30  総会

研究発表は,発表時間 25 分質疑 15 分,計 40 分程度を予定しますが,演題数により,多少の増減があることをお含み置き下さい。 春の研究集会プログラムを次号にてお知らせいたします。冊子体の発表抄録集も作成し,全会員に発送する予定です。

Ⅱ. 2007 年度 秋の定例研究集会の報告

2007 年度秋の定例研究集会は和田浩一会員(神戸松蔭女子学院大学)のお世話により,開催されました。

秋の研究集会発表演題
研究発表(1)
「『近代日本の体操科授業改革-成城小学校における体操科の「改造」-』不昧堂、2007 年」 木原成一郎(広島大学)
座長 大熊廣明先生(筑波大学)

研究発表(2)
「 オーストリアの資料からみたレルヒとスキー 」  新井 博(びわこ成蹊スポーツ大学)
座長 大川信行先生(富山大学)

懇親会は,スポーツ人類学専門分科会と合同で,日本体育学会第 58 回大会の第2日目の夕刻に元町中華料理「牡丹園」で開催されました。研究集会参加者 35 名。

Ⅲ .編集委員会報告

『体育史研究』第 25 号は,原著5編、研究資料1編,書評5編の投稿があり,編集委員会による審査手続きに入っています。これに日本体育学会第 58 回大会のシンポジウム報告およびを加えて発行の予定です。
  なお、『体育史研究』への投稿は随時受け付けております。詳細については『体育史研究』第 20 号以降に掲載されている投稿規程をご覧ください。

『体育史研究』投稿先は編集委員の寶學淳郎先生の所属勤務先です。『体育史研究』に投稿される会員の皆様は,投稿原稿送付先にお送り下さい。

『体育史研究』投稿原稿送付先
〒 759-6595  山口県下関市永田本町2丁目7-1 独立行政法人 水産大学校
 寶學淳郎先生研究室気付  ( 『体育史研究』編集委員会 )
電話  0832-86-5111 (代表)

Ⅳ .世話人会報告

1. 2008 年度春の研究集会の開催場所について
2008 年度春の研究集会の開催場所については,びわこ成蹊スポーツ大学で開催可能かどうかを事務局から問い合わせることとした。現地世話人として新井 博会員にお願いすることにした。期日は例年の 5 月中旬の土日を開催期日とすることにした。

2. 2008 年以降の学会大会シンポジウム等の企画について

(1) 2008 年度の学会大会時におけるシンポジウム等
2008 年度の学会大会時は,専門分科会シンポジウムとキーノートレクチャーを実施することとし,詳細は,次々号( 188 号)で会員の皆様にお知らせすることとした。

(2) 2009 年度の学会大会時におけるシンポジウム等
2009 年度の学会大会時( 60 回記念大会)には,長野での学会大会のようにシンポジウムに外国からの講演者を1名ないし2名を招聘することが提案された。

報告

1 . 渉外担当(国際学会関係)のアナウンスメントについて
池田恵子先生(山口大学)より ISHPES 2008 年の開催地がタルト(エストニア), 2009 年の開催地がスターリン(スコットランド)であることが報告された。資料)  People in Sport History ― Sport History for People, ISHPES SEMINAR 2 nd -6 th July,2008, Tartu, Estonia.

また,北京でのオリンピックイヤー合同企画について報告がなされた。資料) A History of NOCs ― Project ISHPES ― ISOH for the International Convention on Science, Educaton and Medicine in Sport

2.次回会報の発行について
次回会報は 12 月あるいは 1 月初旬に発行し,春の研究集会の開催要項を中心に編集することとした。なお, 2007 年度の ISHPES ,及び東北アジアの国際学会の報告を掲載することとした。

Ⅴ .(社)日本体育学会代議員選挙管理委員会より

世話人会より,「社団法人日本体育学会細則第5条の2」にもとづき,代議員選挙のための選挙管理委員(1名選出)に事務局の榊原浩晃会員を指名した。代議員選挙関係投票用紙等が平成 20 年来年3月ごろ本部より選挙管理委員(分科会事務局:榊原浩晃会員)に送付され,平成 20 年 4 月中旬頃までに郵送による選挙を実施することになった。

Ⅵ.阿部生雄先生より

F.W. ストレンジ再考:専門分科会シンポジウムの提案  筑波大学 阿部生雄

前東京大学教授の渡辺融先生は、『ストレンジ考』( 1972 )という論文で、東京大学予備門の英語教師となったフレデリック・ウィリアム・ストレンジ( Frederick W. Strange )先生が、香港からイギリス船オリッサ号で、横浜に明治 8 年( 1875 ) 3 月 23 日に到着したこと、そして横浜の外国人居留地で様々なスポーツを実践していた優れたスポーツマンであったことを突き止めました。
その詳細な研究に刺激され、僕は、イギリスでの調査を踏まえて『イギリスの F.W. ストレンジ』( 1996 )という論文を書きました。その中で、ストレンジ先生が 1853 年ロンドン生まれで、イギリスのパブリックスクールの一つであるユニバーシティ・カレッジ・スクール出身( 1867 - 1868 )であるということ、その学校で江戸幕府が派遣した日本人の留学生と面識があった可能性が高いこと、また、その日本人留学生の中に、後に東京大学で最初の数学教授となり、東京大学総長、文部大臣となった菊池大麓が含まれていたことから、ストレンジ先生の来日や予備門の英語教師になった経緯と何らかの関連がありそうなこと、等を指摘しました。
しかし、ユニーシティ・カレッジ・スクールを出てからと、来日するまでのストレンジ先生の経歴が不明でした。数年前、東京外国語大学の出身で長いこと商社マンをしておられた、日本のボート史に強い関心を持つ高橋考蔵さんが、ストレンジ先生を調査したいと僕にメールで問い合わせてきました。関連する資料をお渡ししたのですが、その後、高橋さんは精力的に国際的なボートマンやボート史研究者と協力して調査を続けてきました。先日、大学のメールに連絡があり、ストレンジ先生のユニバーシティ・カレッジ・スクール後の経歴が分かったというのです。それは、その後、 1870 年にターネット・カレッジエート・スクールに通い、教師資格試験を受けて教員免許を獲得していた、というものでした。高橋さんは、ストレンジ家の縁者であるレイ・フェザーさんと一緒に、ストレンジ先生のイギリスでの経歴に関する共同調査を行い、ついに、ミステリーに包まれていたストレンジ先生の生い立ちを明らかにしたのです。わが国のスポーツ史を紡ぐ一つのミッシング・リンクが発見されたことになります。
そこで、次回の早稲田大学での日本体育学会の体育史専門分科会シンポジウムに、渡辺融先生、高橋孝蔵氏、イギリスからレイ・フェザーさんをお招きして、「ストレンジ再考」というような題で、このミッシング・リンクの発見を祝うと同時に、ストレンジ先生のスポーツ史における再評価を試みることができれば、と思っています。会員の皆様のご賛同が得られれば、幸いです。尚、渡辺融先生、高橋孝蔵氏は、共にこの提案に積極的に協力したいと申し出ておられることを、申し添えておきます。

( 2007 年 12 月 25 日)

Ⅶ.国際学会報告及び情報

•  2007 年 ISHPES コペンハーゲン大会 (会 期: 2007 年 7 月 31 日~ 8 月 5 日 開催地:コペンハーゲン大学)

第 10 回 ISHPES Congress コペンハーゲン大会参加記

山口大学 池田恵子

2007 年 7 月 31 日から 8 月 5 日にかけて、デンマーク、コペンハーゲン大学において、第 10 回 ISHPES Congress が 開催された。本大会は ISSA ( International Sociology of Sport Association ) の第 4 回 World Congress との合同開催によるものであり、世界各国の体育・スポーツ社会学者および体育・スポーツ史研究者が会する機会となった。日本からも多数の研究発表が行われ、大会発表関係者数は、ポスターと口頭発表を合わせて 370 名に昇った( Program & Abstracts の Author List に基づく)。ヨーロッパ開催の Congress ( ISHPES は Congress とやや小規模の Seminar を隔年で開催 ) ということもあり、 ISHPES 、 ISSA 双方 の組織力も手伝って活気に満ちていた。大会テーマは、“ Sport in a Global World ―Past, Present and Future ” であったが、実質的には、社会学者と歴史学者の交流の場となったことから、ワークショップにおいて社会学と歴史学の方法論上の問題に触れるものもあった。例えばパネルディスカッション「スポーツ社会学とは丹念な作業を要しないスポーツ史のことである― versus -スポーツ史とは入念な分析を要しないスポーツ社会学のことである。」( 要旨:スポーツ史家とスポーツ社会学者は同種のトピックを扱いながらも、めったに共同することはない。本パネルでは今後の連携にとってその機会や挑戦を模索する触発的なテーマについて議論しようとするものである )など目を引くものがあった。ピーター・バークの『社会学と歴史学 Society and History (London; Boston: G. Allen & Unwin, 1980) or History and Social Theory (Cambridge; Polity Press, 1992 ) 』 ( c.f. 邦訳:ピーター・バーク [ 森岡敬一郎訳 ] 『社会学と歴史』慶應通信、 1986 年) の中身を髣髴とさせる要旨に魅かれて、筆者も会場に足を運んだ。そこには Roland Renson ( 2000 年 ISHPES 学会賞受賞者、ベルギー) 、 Gerald Gems (主著、アメリカ文化帝国主義とスポーツ The Athletic Crusade: Sport and American Cultural Imperialism , 2006 ) 、 Tara Mandalinski 、 Joseph Maguire (前 ISSA 会長) 、 Sebastiao Votre (ブラジル ) らの顔ぶれがあった。議論の終盤は、残念なことに、バーク的な議論や具体的な研究方法論上の話よりも、具体的連携の話に特化される余り、大学におけるポストを巡る争奪、各国の大学人事における悩みといったところに移行してしまった。スポーツ社会学とスポーツ史の講座は、ときに競合関係にあり、その点では経営学を含む社会学が優勢となることは日本だけに限る話ではなかった。その点では、どこも似たような状況を抱えており、それがスポーツ学の現状ということの認識はひとつの成果であったが、もともとの議論に関する討論の物足りなさも手伝って、フロアからの質問に参加し、両者 (社会学者と歴史家のこと) 「耳の悪い人同士の対話 (バークの表現) 」に埋没することなく、「歴史学とは社会理論の構築」というピーター・バーク的な問いかけにどう答えるかという質問を試みてみた。バークではないが、社会理論すなわち歴史の「詳述」に尽きると総括する歴史家もいる。しかしながら、これについてパネルの反応は窮したものであった。パネル終了後、パネラーの一人であった Gems 氏が「質問に敬意を表する」と声をかけてきたことは、唯一の救いであった。それ以上に興味深い出来事は懇親会でのパペットショーであった。先の Renson が社会学者と歴史学者の人形を手にパフォーマンスを繰り広げた。「だから社会学者は・・・」、「これだから歴史家は・・・」と人形が両者の悪口を言い争うパフォーマンスである。知的討論を経た後の最終日前夜におけるソーシャル・プログラムで披露されたこうした「おふざけごと」には知的楽しさも伴っていた(誰も怒るものはなかった。もっとも酒席での話ではあるが。)なお、この種の知的論文としては、最近のものでは、社会学的分析によってなされたクリケットに関する文明化論に対し、その二次資料に基づく資料的偏りや理論提示の限界を指摘して牽制した Wray Vamplew による“ Empiricist Versus Sociological History: Some Comments on the ‘Civilizing Process' ”( Sport in History , vol.27 no.2, June 2007, pp.161-171 )などがある。次年度はエストニアの都市タルトにおいて ISHPES Seminar が開催される。大会テーマを“ People in Sport History ― Sport History for People ”として掲げ、再び歴史家のみの集団による議論に戻る。コペンハーゲン大会の成果は今後も議論され続けるべきものであろう。なお大会テーマであった「グローバリゼーションとスポーツ」に関する議論の行く末について総括することは控えたい。 300 を超える発表の総括も不可能である。以上、筆者の興味の観点から、 ISHPES 2007 、コペンハーゲン大会をふりかえってみたに過ぎない。

•  東北アジア体育・スポーツ史学会 ( 会 期: 2007 年 8 月 21 日~ 8 月 24 日 開催地:忠南大学校(韓国大田市) 大会テーマ:スポーツの伝統、近代、グローバリゼーション )

榊原浩晃(福岡教育大学)

学術的な報告というより,印象も含めたエッセイのような報告をお許しいただきたいと思う。この学会大会ほど雰囲気の違った学会はない。日本以外の国(地域)は,護送船団方式で学会に参加する。同一の飛行機で,ソウル・仁川国際空港に降り立ち,国ごとに一斉にバスに乗り,会場に向かうのである。我々日本人は,(よい意味で)バラバラ, 1 日前に現地入りする人もいれば,遅れて現地に到着される場合もある。私などは,学会発表も本来の目的であるが,韓国語の勉強やショッピングも兼ねて気楽に参加した。数日前にソウル入りし,明洞(ミョンドン)の繁華街で激安眼鏡や衣類などを購入した。眼鏡は日本で買えば私の度数の薄型レンズ込みで 50000 円以上するものが,日本円で約 3,000 ~ 4,000 円くらい。桁違いに安価なのである。今回は,メガネ2個も購入した。韓国衣装と新品のメガネ(韓国製)をまとっているので,韓国人によく間違えられる。(ミア,ナムニダ,チョヌン,イルポンニン)「すみません,私日本人です。」と。今回の学会参加のために高速バスで儒城(ユソン)温泉行きに乗車しなければならない。大都市大田(デジョン)行きはバスターミナルから頻発しているが,儒城温泉行きは,標識がみあたらない。結局,乗り場を間違えていた。しかし,目的地までバス代約 1,500 円程度,安価な乗り物である。タクシーに乗り換えて,500円以下。おつりはもらわなかった。「ゲンチャナヨ」(かまいませんよー,と。) 1 人で来たと言ったら,韓国人スタッフが「すごいね」と褒めてくれた。
雰囲気の違った学会というのは,日程もよく変更されるからである。中国の空港で,定刻前にいきなり異なる搭乗ゲートで,手続きがはじまるようなものである。何が起こるかわからないのである。発表時間も突然変更になる。それに動じないような平常心が必要なのである。さて,今回もハプニングが起こった。ポスター発表の掲示箇所の規格が半分以下の寸法で小さいのである。でも,小さいながらも,さっそく日めくりのカレンダーのようにポスター掲示を熱心に貼付していた日本から参加の先生がおられた。日本人は真面目なんだなあと思った。私は,冷静に周囲を傍観し,しばらく待っていた。大会事務局より,規格の合致したポスター掲示板が急遽用意されることとなって一安心だった。日本からの参加者は,学会参加ともなれば,質問し議論してこそ,学会大会の真髄であると信じている。これは間違いない。しかし,他の国の参加者は,淡々と発表し,史料による実証的な研究というより,自己主張するのみといった感じである。日本以外の参加者の研究姿勢や態度も我々とは違う。明らかに違和感を感じる。日本以外の国地域の学会参加者には,研究発表で自己の研究成果を思う存分公表することを躊躇しているかのようである。発表させられているとか,このテーマで発表しなければならないというような暗黙の縛りが存在するのか判然としなかった。一方,かつて日本に留学され,学位を取得された何人かの韓国の先生方は,着実に研究を進めておられ,勇気づけられた。学術的な議論と研究のための意見交換は是非とも必要なはずである。総会などで,その必要性を訴える機会も今回はなかったが,いずれ通訳を介さず韓国語でこのことを発言できるように語学を鍛えようと思った。学会日程の中で,扶余を観光できたことは幸運であった。日本古代史にも出ている白馬河(ペンマガン)〔白村江(はくすきのえ)〕を遊覧船で見物できた。こうした観光の手配も学会スタッフが担当している。日本からの参加者は,それぞれの専門のうち,アジアの学界を意識して設定された発表テーマも多かったように思う。一方,日本支部の会長・事務局長は大変である。山本徳郎先生は,昼食もとられずに理事会が行われ,観光のため用意されたバスにやっと時間が間に合って乗ってこられたが,お疲れのご様子であった。日本の代表者(副会長という)の役目を我々のために果たしてくださった。日本支部事務局長の大熊先生は,大会前から情報収集に奔走された。手紙や e-mail の返事をしないのが韓国式だと私は認識している。我々が知り得た情報を共有するシステムを日本からの参加者向けに構築すれば大熊先生のお手を煩わせることは少なかったかもしれない。日本からの参加者もこうしたお国事情を理解してもらわなければならないだろう。韓国は電話で聞くのが一番なのである。私も,当日,バスターミナルから直接ハンド・ホン(韓国ではこう呼ぶ,携帯電話)で問い合わせ,受付がホテルで行われることがわかったくらいである。大会最終日のフェアウェル・パーティーで和田浩一先生(神戸松蔭女子学院大学)のご発表(近代オリンピック以前に日本で出版されたギリシャ史文献に見るオリンピック―東北アジアにおけるオリンピック運動の源流を求めて―)に東北アジア体育スポーツ史学会学会賞が授与された。また,日本の金沢大学に留学して学位を取得された朴貴順先生(韓国;霊山大学,体育史専門分科会会員)が韓国語,中国語の通訳及び大会組織委員会スタッフの一員として尽力され,韓国では期待の若手教授として活躍されていた。

基調講演  J.A. マンガン氏( Emeritus Professor at Strathclyde University, UK ) ‘ The World is Your Oysterle '

日本からの参加者の発表演題(発表順,抄録掲載順)

楠戸一彦(広島大学),「体育研究会」( 1929 ~ 1940 )における研究発表に関する一考察
近藤 剛(筑波大学大学院),「第二次世界大戦直後のアメリカ合衆国の沖縄における学校体育政策」
福原昌恵,「明治 32 年「幼稚園保育及設備規程」に至る近代日本幼稚園遊戯の分化と定着」
和田浩一(神戸松蔭女子学院大学),近代オリンピック以前に日本で出版されたギリシャ史文献に見るオリンピック―東北アジアにおけるオリンピック運動の源流を求めて――
大久保英哲,「体育・スポーツ史研究に於ける地方史の重要性」
大熊廣明(筑波大学),「流鏑馬に見る伝統スポーツの変容と継承」
藤坂由美子(長野県短期大学),「明治初期刊行の「体操図解」に示された日本の伝統遊戯に関する研究」
榊原浩晃(福岡教育大学),「イギリス湖水地方におけるグラスミアスポーツ競技会( 1852 ―)の伝統と近代性」
掛水通子(東京女子体育大学),「近代日本女子体育教師史:女子体育教師養成と戦争との関係」
及川佑介(国士舘大学大学院),「李想白と日本バスケットボール界」
新井 博(びわこ成蹊スポーツ大学),「 1910-1913 年高田師団による市民へのスキー普及策」
小沢信幸(金沢大学大学院),「雑誌『體育と競技』の女子体育関連記事について」
榎本雅之(金沢星陵大学),「 19 世紀後半英国支配下アイルランドの陸上競技大会― Celtic Times(1887) からみる GAA(Gaelic Athletic Association) 主催陸上競技大会の種目分析から―」
福田啓子(奈良女子大学大学院),「戦前の女子教育に成立した薙刀教授要目についての考察」
鄭 光植(筑波大学大学院),「「朝鮮体育協会」の機関誌『朝鮮スポーツ』( 1932-1934 )に関する研究」
西尾達雄(北海道大学),「朝鮮における日本人体育教師峰岸昌太郎について」

Ⅷ .国際学会情報

1.  国際体育・スポーツ史学会 (ISHPES)
ISHPES (2008) Seminar は,タルト(エストニア)で, ISHPES ( 2009 )はスターリン(スコットランド)で開催されます。

ISHPES Seminar (2008) の会期: 2008 年 7 月 2 日~ 7 月 6 日 開催地: Tartu, ESTONIA

2008 年 1 月 31 日発表申込締切、公用語:英語
大会事務局連絡先など、以下の HP をご覧下さい。
www.spordimuuseum.ee/ishpes2008
ishpes2008@spordimuuseum.ee

お問合せ先:池田恵子会員(山口大学) Tel:083-933-5381

2. 50 th ICHPER-SD Anniversary World Congress 2008 〔 commission 〕 History of Physical Education and Sport

会 期: 2008 年 5 月 9 日~ 5 月 12 日
開催地:鹿屋体育大学(日本)

問合せ:山田理恵会員(鹿屋体育大学) Tel:0994-46-4973 http://icpwcoc2008.nifs-k.ac.jp/

Ⅷ .会員のお悔やみ

下記の会員がご逝去されました。ここに謹んでご冥福をお祈りいたします。
鈴木敏夫 会員(北海道大学名誉教授)  2007 年 9 月 20 日ご逝去
室星隆吾 会員(東京学芸大学教授)   2007 年 11 月 4 日ご逝去